
稲穂は重そうに頭を垂れ、そろそろ刈り頃だよ~と言いたげです。
しかし、このところの天候不順で雨が降ってしまい、なかなかタイミングがつかめません。 雨で、せっかく水を切っておいた田んぼが、再び水をたたえてしまい機械が入れないのです。
田んぼが乾かないと稲刈りの機械が水没してしまい、動けなくなってしまうのです。 からっと晴れた天気が続けば、さっそく稲刈りに入りたいと思います。
その代わり、草刈りに励みました。
雨の多い日々が続いたので、雑草が伸び放題。 まさに雑草の楽園です。 もう、4回は草刈りをしているのに、ゾンビのように蘇ってしまっています。
まさに、『雑草=たくまC²』 (雑草 イコール たくましいの二乗)でございます。

気温も上がり、汗が雨だれのように帽子のつばから滴り落ちます。 さすがに疲労&飽きがきますので、ちょっと遊んでみました。 雑草の中に文字を書いてみたのです。
よく見えないけれど、世界一有名な方程式です。

草刈り機でうまく書いたつもりですが、よくわからんなあ・・・。 ドローンでも飛ばして上空から撮影しないとダメ見たい。 ナスカの地上絵みたいなもんですね。

収穫の時期に雨ばかり続いたので収穫を逸してしまったアーモンドも、この畑にあります。 アーモンドはある程度乾燥した土地でないと収穫の難しい果実です。
日本では収穫時期がちょうど梅雨時にあたるので、今年の天候では輪をかけて不作となりました。 本来ならぱっくりと実が口を開けてカラッとするのですが、そのまま腐ったり、虫が入り込んでいたりして散々でした。

それでも、こじ開けてまともそうなものだけは収穫してみました。

なんとか草刈りを終えました。 いやいや、暑さでさすがにくたびれたぞい。 でも、あと3か所雑草だらけの休耕田があるので、まだ頑張らないとなあ・・・。
この畑にはトゲなしユズも植えてあります。 雑草に埋もれていた可愛らしい実が、ようやく日の目を見た感じ。
草刈り中・・・ちょっとしたトラブルが・・・。 石垣に近いところを刈っていたら、いきなり右の手の甲に激痛が!
『いってえ!』 ハチに刺されてしまいました。 たぶんアシナガバチでしょうか? 手袋はしていたのに、その上から強襲してきたのです。 近くに巣があったのでしょうね。

夕刻、私の右手は腫れ上がり、まだ手袋をしているようになってしまいました。 『あ~、いてー。 かいい~。 たまらん』 熱ももってしまって、その夜は寝苦しかったこと。
今までハチには何度か刺されたので、その時には注意しようとは思っていましたが、すぐに忘却。 やはり油断はいけませんね。
さてさて日中、雑草の中に描いた数式・・・『E=mc²』 私がリスペクトしているアインシュタインの式です^^;
でも学生の頃、この式を初めてみたときになんじゃらほいと思いました。 なぜなら、m(質量の単位はkg)、c(光の速さだったら単位はm/s)だし E(エネルギーだったら J(ジュール))じゃん。 なんでそんなことになるの? と思いました。 数学は単位を合わせて計算するのが普通じゃない?と・・・。
いろいろと本を読んでいくと、まさにそれが相対性理論が生み出した美しい方程式だったのです。 といっても、相対性理論を理解できたという訳ではありません。
相対性理論が発表されたころ、『理解できるのは世界で3人しかいないそうですね?』という問いに『それはアインシュタインと私と、あと一人は誰だね?』と答えたのは、アーサー・エディントンという人。
彼はアインシュタインの熱烈なファン?で、実際に皆既日食の観測を行い、太陽のすぐ近くを通る星の光は曲がるということを実証してみせた人で、彼がアインシュタインを一気に世界的な物理学者に押し上げたのです。
・・・とまあ、アインシュタインを語らせたらとまりませんので、ここでは難しい話はやめてアインシュタインのエピソードなどを少し。 あまり本に載っているものでもないので、?な逸話も混じっているかもしれませんが。
幼い頃のアインシュタインは癇癪もちで、気に入らないことがあると、よく妹の頭をポカポカやったそうな。
のちに妹のマヤは、『天才の兄を持つには、頑丈な頭蓋骨も必要です』と述べています。
少年時代は、目立たないおとなしい子供で、学校が好きでなかったし教師たちもよく思っていなかったようです。 でも、成績は学年トップ。
その後ドイツから、イタリア、そしてスイスへ・・・。 そして16歳で光に関する疑問を持ち始めます。 (後の相対性理論への第一歩)
大学卒業後も就職が決まらず、高名な学者たちの論文を読み漁り、間違いを探し出して手紙を送るなどイヤなやつに。
結婚するも、その相手が母とうまくいかず狭間に立たされます。
『私の母は、母親としてはよい母なのですが、姑としては悪魔です』(アインシュタイン談)
さらに父の会社の経営不振で、どん底生活に・・・。
つてで特許局へ就職。 そこで相対性理論をまとめ始めます。
そして『奇跡の年』と呼ばれる1905年に論文を発表。 光電効果、ブラウン運動、移動する物体の電磁気学(のちに特殊相対性理論)の三大論文です。
ノーベル賞は後年このうちの光電効果に与えられました。 本来なら相対性理論にも与えられそうですが、様々なしがらみがあって実現しませんでした。
こうしてアインシュタインは、いくつもの大学の教授として引っ張りだことなったのですが、決して順風満帆ではありませんでした。 離婚、不摂生な生活により病気となり療養生活、ナチスのブラックリストに載り追われる(彼はユダヤ人)、直接関与はしていませんが原爆の実現化、再婚の妻の死など、波乱万丈の人生だったのですね。
しかし、ユーモラスな風貌やその人柄により一線を画した物理学者として親しまれてきたのでしょう。 そして数々の名言も残しています。まあ有名になれば、何気ない一言も取り上げられることとなるでしょうが、私の面白いと思う言葉を・・・。
『素敵な女性と2時間過ごしていても、たったの1分としか感じられないけれど、熱いストーブの前では1分でも2時間耐えているような気がする。 それが「相対性」だね』
『知る喜び、それは自然界からの最大の贈り物です』
『学ぶこと。 それは人がずっと子供のままでいられることが許されている、唯一の行為です』
『プルトニウムの性質を変えるより、人間の性質を変える方が難しい』
などなど。
他にエピソードもたくさんありますが、それはまたの機会に・・・。

参考文献
『相対性理論と量子論 Gakken』
『アインシュタイン -大人の科学伝記 サイエンス・アイ』
『いちばんやさしい相対性理論の本 彩図社』
『相対論的宇宙論 講談社ブルーバックス』